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白血病退院~桜吹雪~ 

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2004年3月下旬。 桜が咲き始め、春の訪れを感じる頃、退院が決まった。 まだデータが低くて、退院できないと思っていたけど、 Dr.から 「明日退院しますか?」 「これからデータは上がっていくから退院してもいいよ」 と言われ、急きょ退院することになった。 もう精神が限界になっていた。 クリーンルームから、なかなか出られなくて、「もう限界」とDr.に話したら、 「明日出れるようにします」 「本当はまだクリーンレベルだけど」と 私の精神面を考慮して、クリーンを解除してくれた。 大部屋でも退屈で、消灯時間も早くて眠れなかった。 夜はよくデイルームに行って、他の患者さんたちとTVを見たりしていた。 将棋があったけれど、もっとゲームや本など、リフレッシュできる空間があればいいのにと思った。 院長回診の時に、看護師さんに促されて、携帯やネットの電波が悪くて不便なことを伝えたり、Dr.や看護師さんにも言っていたけど、病院の環境自体は退院まで改善されなかった。 とても窮屈な長い入院生活に、もういっぱいいっぱいになってしまっていた。 ようやく夢にまでみた退院だ! 嬉しい! 本当によく頑張った! 一時期は「もう治療できない」と絶望したけど、Dr.、看護師さん、患者さん、家族、友人 いろんな人の支えのおかげで、こんな私でもなんとか乗り越えることができた。 いろいろあるけど、家族がいてくれて本当に良かった。 母親がお見舞いに来てくれて、退院が決まったことを話すと驚いていた。 2003年11月、緊急入院した前の病院では、「もう危ない」と言われていたようで、家族は覚悟をしていたと聞いた。 でもこの病院に転院した時、真っ先に「治りますか?」と聞いたら、Dr.は「治りますよ」と言ってくれたので、家族は安心したと。 私も転院前の先生に 「あと3日、もつかどうか」と 余命宣告された時は、真っ暗になった。 だけど、この病院にきて、Dr.の「治る可能性が高い」という言葉に希望が持てた。 もし転院が、あと1日でも遅ければ、どうなっていたのだろう? 奇跡的に転院できて本当に良かった。 神様やご先祖様のご加護を感じた。 Dr.や看護師さんも、父親や母親のように優しく見守

地固め療法~3クール~

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無事に寛解となり、2003年12月末から、地固め療法が始まった。 抗がん剤投与→骨髄抑制クリーンルーム入室→血球が立ち上がるとクリーン解除大部屋へ→外泊してリフレッシュ この1クールが大体1ヶ月位で、3クール3ヶ月の地固め療法を行った。 始まる前は、寛解導入の時の副作用の辛さやトラウマで、ものすごく恐怖だったけど、Dr.が吐き気止めを強めに入れてくれて、大丈夫だった。 クリーンの時は、何度かパニック症状が出たりして、Dr.もできるだけ精神の負担がないように考慮してくれた。 クリーンから出たり、抗がん剤投与後の、まだデータが下がりきっていない間に、外泊をさせてくれた。 Dr.や看護師さんも、クリーンの時はよく部屋に来てくれて、いろいろ楽しく話をしたり、サポートしてくれた。 キロサイドとノバントロン、ダウノマイシン、イダマイシン。 青色、赤色、橙色の抗がん剤を投与した。 体の倦怠感や眠れなくて、しんどかった。 白血球が下がっている間は、口内炎、歯痛、歯肉炎などいろいろ炎症が起こり、38~39度台の熱が出たりと辛かった。 髪の毛、まつ毛、眉毛、体毛の全てが抜けた。 ピアスの穴が、塞がってしまうのが嫌で躊躇していたら、Dr.に「大丈夫でしょう」と言われて、つけたままで消毒をしたら大丈夫だった。 1クール終えると、苦手な骨髄穿刺(マルク)をした。 地固め3クール目が始まる前には、髄注(ルンバール)もした。 背中に針を刺し、脳脊髄液に抗がん剤を入れる。 他の白血病患者さんからいろいろ聞いていて、不安だったけど、無事に終わった。 おしりや左足が、しばらくしびれてすごく怖かった。 病院にいると生死を強く感じた。 誰かが亡くなった時、廊下から大声で、ご家族の泣き声が聞こえてくる。 そんな日は、病棟がしんと静まりかえる。 普段は明るく過ごしている患者さんも、みんな心の中は、不安でいっぱいだ。 明日は我が身かもしれない。 そんな死の恐怖が常にあった。 だからいつも、外の世界に希望を見出して外泊を楽しみに頑張った。 外泊は合間合間にできて、リフレッシュできた。 お正月は、近所の神社に初詣に行けた。 病気が治るようにお願いしてお守りを買った。 両親もお守り

クリーンルームトラウマ~治療と死の恐怖~

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「もう私たちではケアしきれないから、精神科のある病院に転院するか、臨床心理士に来てもらうかした方がいいと思う」 リーダーの看護師さんからそう言われた。 外泊から戻ってきてトラウマから、PTSD、パニック発作のような症状が出てきた。 「もう治療は無理だし止めたい」と言った私に、 看護師さんは、 「ray*さんのような感受性の強い患者さんは、今までに看たことがことがなくてわからないから、別の専門家のいる病院に、転院した方がいいと思う」と提案してきた。 すごくショックだった。 今の不安定な状態が和らぐならそうしたいけど、多分そんなことをしても、この強い恐怖は和らがないとわかっていた。 看護師さんは、私のことをそういう風に見ていたんだと、見離されたように感じた。 それに、治療途中で病院が変わること、Dr.や看護師さんが変わることは、不安に思った。 いつも明るく励ましてくれていたのに、やっぱり私の気持ち、白血病患者の精神的つらさは、理解されていなかったんだなと思った。 それともこんなに恐怖に襲われるのは私だけなの? みんな白血病の死の恐怖や、クリーンルーム(無菌室)の閉鎖空間、強い抗がん剤治療、副作用など平気なの? 治療も怖いし死ぬのも怖い。 どこにも逃げ場がなくて、どうしていいかわからない。 このままでは精神が壊れてしまうよ。 私には白血病治療は、精神的に無理なんだと絶望した。 昔ならM3(APL)は、とても死の確率が高い病気だった。 今は医療が進んで特効薬が開発されたけれど、あんなクリーンルームの環境で、あんなにきつい抗がん剤の投与をして、生き延びても心も体もダメージが強すぎる。 家に帰りたい。 もう治療できずに死んでしまうのだと思った。 絶望のどん底にまで落っこちてしまった―― 一人絶望的な気持ちでいると、私と看護師さんの話を聞いていた、同部屋の上品な血液疾患のお婆さんから声をかけられた。 「治療を止めるなんて言わないで」 「私はもう歳だから移植や強い治療はできないけど、あなたはまだ若いから、治療ができる」 「治るんだから」 お婆さんの強くて優しい言葉に涙が出た。 全く他人なのに、いつも私のことをよく見ていてくれていた。